ふたりの独歩

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野鯖で激おこ問題について

掲題の件、数年ぶりにFPS(CSGO)の世界に戻ったわけですが、やはりというべきか未だに野鯖で闇堕ちしている人が多くて悲しいので改めて啓蒙活動します。
(僕の知っている人だけでも3人、知らない人だとたぶん100人以上に遭遇してます。)

①野良プレイヤーに期待しない

結論が先になりますが、野良プレイヤーに対する期待値を最低に設定することで、どのような野良プレイヤーを引いてもそれが理由で怒ることはなくなります。

端的にいうと、期待するから裏切られてしまうわけです。
野良プレイヤーは自分が知っている言語をクリアなマイクで話してくれて、更に自分のやりたいことや行きたいところをエスパーした上で合わせてくれて、更に更に自分のために武器を落としてくれて、更に更に更に★10個を取ってキャリーしてくれると期待するからこそ、一つでもそうでなかった場合に怒りの感情が芽生えてしまうのです。

「そこまで高望みをしていないよ!僕はただ普通のプレイヤーがほしいんだけなんだ!」という声も聞こえてきそうです。
しかし「普通」とはなんでしょうか。貴方の考える「普通」を満たす(野良)プレイヤーは、100%の確率で引けるのでしょうか。もし10%の確率で普通以下の存在を引くとして、その普通以下の存在に対して貴方の心が乱されることはないのでしょうか。
結局のところ、ある基準を下回る場合に気持ちが動揺するのです。それならばもういっそのこと基準を底辺にまで持っていけば、少なくとも他人のパフォーマンスが原因で怒りを感じることはなくなるのではないでしょうか。

味方の野良プレイヤーは全員FFer + griefer、敵はsmurfer + hackerで試合は1ラウンドも取れずに完敗する、とこれ以上は無い最悪な状況を想定しておけば、実は1人キーボード持ってなくて一歩も動けませんゎみたいな状況に出くわしても、「3人もWASDが押せる動けるプレイヤーを引いた上に誰にもFFされなかった」ことに幸せを感じることができます。ecoとbuyの区別ができないプレイヤーがいても、敵に向かって弾を飛ばしてくれるだけ有り難いと思えることでしょう。結果として5-16で負けたとしても、もともとが0-16の予定ですから、それを5ラウンドも上回ったことに対して喜びを感じることすらあれど怒りを覚えることは無いはずです。

さすがに期待しなさすぎだと思っている貴方は、胸に手を当てて今まで怒りを感じた野良プレイヤーの中から、ワースト9をpickして最悪のチームを作ってみてください。きっと似たような構成になるはずです。

そもそも自分で決定できない事項に対して何か関心を抱くという行いそのものが間違いの元なのです。自分で決めることのできる事項、即ち自らの言動や将来に対する選択については熟考するに値します。しかしながら、自ら決定権や選択権を持たない事柄について、それをどうしようと悩んで何かが変わるでしょうか。

明日太陽が昇らない可能性について考えると不安&不安で夜も眠れないという人はなかなかいないでしょうが、たとえそのような状況になったとしても、自分の思考が実際の太陽の昇り沈みに影響しないことは明らかです(貴方がラーまたはその他太陽神である場合を除く)。太陽をコントロールできないのと同様に、貴方は自分の両親や兄弟姉妹を選ぶことはできませんし、上司も部下も選べません。地球の何処かで誰かが何かを試みたとして、貴方はそれが自らに波及しないように自衛することはできても、その行為自体をとめることはできません。
それなのに何故、野良プレイヤーは自分の操り人形なのだと勘違いしてしまうのでしょうか。貴方が他人に何かを強制されることがない(例え社会的上位の人間から何かを命令されたとしても、実際にそれを実行するか決めるのは自分である)のと同様に、貴方は他人に何も強制することはできないのです。

②野鯖に何を求めているのか

そうすると以下のような疑問も出てくると思います。「最悪のプレイヤーを想定して負けを覚悟するのが当然と言うならば、何のために野鯖をプレイするのか。」あるいは「自分で決定できない事項に対して関心を抱かないというのは、相手のことを気にしない自己中心的なプレイにつながるとは言えないだろうか。」

一般的に言って、負けると予想している戦いに喜んで参加する人はとても少ないと思います。
ですが勝利することが目的ではない、ということであればどうでしょうか。例えば市民に開かれたマラソン大会で1番になれないからという理由で出場を取りやめる人はいるでしょうか。参加者は、他人と競うよりはむしろ皆それぞれ内に目標を掲げ(それは具体的なタイムであったり、あるいはとにかく完走することであったりする)、自分で影響を及ぼせるものに対して挑戦しているのではないでしょうか。

僕は野鯖をプレイする理由もそこにあると思っています。自らの権内にないもの、つまり(味方も敵も含めた)他人の能力に大きく依存する勝敗に一喜一憂することに何の意味があるのでしょうか。野鯖において負けることを恐れている人は、自らが決めることのできない運命に恐れを感じているにすぎません。しかし貴方は太陽を動かせないのです。恐れて何になるでしょう。

それよりも、どのような外的状況においても自らの権内の範囲において最善手を打てる頭脳と心と真剣さを備えることの方が、結果として勝利の可能性をより高めると行為であると考えています。
つまり、周囲が圧倒的に自分より速くても自らのベストを尽くすマラソンと同様に、味方や敵が誰であれ何であれ、自分のAimや状況判断力、mapやmeta知識を最大限に発揮すること、これが有意義な時間の使い方なのではないでしょうか。

そしてこれが自己中心的であり他者を蔑ろにするものであるとする批判も当たらないと考えています。なぜなら、この人は誰かを一切貶めることなく自らの力を最大限に動員して最高のパフォーマンスを出力することであくまで「結果として」ではあるものの、チームの勝利に貢献しようとしているわけですから。そして人間というのはこの程度には自己中心的であることは許されるはずでしょう。

③変えることのできるものと、変えることのできないもの

さて、どちらが幸せだと言えるのでしょう。片や自分のことはいざ知らず見も知らぬ他人に高すぎる期待を抱き、少しでもズレていることが不満で自ら不幸に飛び込んでいく者、こなた周囲の状況に流されず、積極的に自らの理想に向かって自らを変革しようとする者。
一方は変えることのできないものを変えることのできるものだと誤解したばかりに心の平穏を脅かされ、もう一方は変えることのできるものと、変えることのできないものを区別できたために運命の気まぐれにも耐えられるのです。

"神よ
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。"
-ラインホルド・ニーバー

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